小学校入学後、本から遠ざかっていた小1の長男。
本のある環境づくりで、いまは結構本を読むようになりました。
そんな長男の読書の様子を見ていると、「なぜ、読解力を身に付けるために読書が必要なのか」がよーくわかってきました。
本を読まないと語彙が圧倒的に少ない
小1の長男が読書する様子を見ていると、
- 子どもは、何を知らないのか?
- 子どもにとって、何が分からないのか?
- 子どもにとって、何が難しいのか?
ということがよく分かります。
長男は読書中、たくさん質問をしてきます。
「『まりょく』ってなに?」(魔力)
「『いやしい』ってどんな意味?」(卑しい)
「『たちさる』ってどういうこと?」(立ち去る)
1冊の本を読む中で、まぁたくさんの質問が出てきます。
そして、「あぁ、こういう言葉はまだ知らないんだ」と、親のわたしは改めて気付くわけです。
この辺は、読み聞かせ時代に読んだ本の量で個人差も大きいのだと思いますが。
言葉を知らないと、本は読めない
と同時に、
本を1冊読むことで、たくさんの言葉を身に付けることができる
その言葉の量が読解力を高める土台になっていくのだと理解しました。
漢字を知らないので、言葉の意味を推測できない
知っている言葉でも、文字になると「これなに?」と分からなくなることもたくさんあるようです。
たとえば、こんな文章がありました。
ぼくにも のうが ふたつ あったら、その ひとつで、この やっかいな じけんも かいけつできるのになあと、おもいました。
ぼくはめいたんてい4 きょうりゅうのきって(マージョリー・W・シャーマット)
長男「『のう』ってなに?」
長男は、頭の中にある『脳』のことは知っています。
でも、この文章を読んで、『のう』が『脳』だということに気付きませんでした。
わたしも、長男に質問され、本を覗いて、前後の文章を読んではじめて『のう』が『脳』だと分かりました。
長男に伝えると、「あ~、なんだ!」と納得して続きを読みはじめました。
わたしは、「漢字が少ない本って、なんて読みにくいんだ!」と思いました。
先に出てきた『まりょく』も、漢字で『魔力』と書いてあれば、たとえその言葉をはじめて聞いたとしても、意味は想像できます。
でも、漢字を知らないと、それができません。
子どもにとって、本を読むことはなかなか大変なことなんですね。
でも、だからこそ、読書の積み重ねにより、読解力がぐんぐん伸びていくんだろうなと思いました。
そのうち語彙のストックがたまっていくと、知らない言葉があっても前後の文脈から、意味を推測できるようになるのだと思います。
「指示語」が何を差しているか分からない
「これどういう意味?」と聞かれた文章をみていると、
『それ』が“どれ”を差しているのかわからない。
『このこと』が“どのこと”なのかわからない。
これはもう、読書の積み重ねしかないと思いました。
そして、この力はYouTubeなどの動画を観ているだけでは身に付かないものです。
本を読まないと、「知らない」ことに気付けない
小1ともなると日常会話は普通にできるし、「そんな言葉も知っているのか!」と驚かされることも多々あります。
ギミックとか、ドッキングとか…。
YouTubeなどで映像とともに覚えるようです。
自分の興味のあるジャンルのことは、すぐに吸収するので、「いまどきの子は、ずいぶん難しい言葉を知ってるんだ…」と感心してしまうことも多いです。
でも、いざ本を読ませてみると質問の嵐。
知らない言葉、聞いたことのない言い回しの連続です。
それは裏を返せば、本を読まないと「知らない言葉と出会う」「いままできいたことのない言葉の言い回し」と出会う機会が圧倒的に減るということにほかなりません。
令和っ子がたくさんの情報にさらされながら生きていることは事実であり、親が教えたことのない難しいことを知っている場合も多々あります。
でも、だからといって物知りなわけではなく、年相応に基本的なことを知らないもの。
読書を通して新しい言葉に出会うことがなければ、「自分には知らないことがたくさんある」ということに気付くことさえ出来ないかもしれません。
厚さたったの1cmの本の中にも、子どもの知らない言葉や世界がたくさん詰まっている…。
読書の大切さを、子どもの姿から教えられました。
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