こんにちは!
6歳差兄弟を育てる2児の母・ひまわりと申します。
コロナ禍の外出自粛を、みなさんどのように過ごされたでしょうか?
わたしの場合、不便はあるものの「意外と平気」というのが率直な感想です。
むしろ、実は生きていくのに多くはいらないということにも気付いてしまいました…。
シンプルでも生きていける…。
少ないモノ・コトでも生きていける…。
この記事では、外出自粛生活のなかで「これ、なくても平気だった」「これ、少なくても何ともなかった」と感じたものをまとめてみました。
少ない人間関係でも何とかなる

育児休暇中なので、もともと家にこもりがちな生活をしていましたが、その暮らしの中で、ぼんやりと感じていた罪悪感がなくなりました。
何に罪悪感を感じていたかというと、たとえば、子育て支援センター行ったり、子育てサークルに入って交流することを面倒だと思っていることとか。
世の中って、なんとなく“行動的であること”のほうが褒められるような空気があります。
でも、みんなが行動的なわけではないし、わたしみたいに一人でいたり、こもったりするのが好きな人もいる。 そんなタイプの人間は、行動的ではない自分に対して引け目を感じていまうこともありますよね。
でも外出自粛となると、みんな外に出れなくなるので、そういったことをいちいち気にしなくて済むようになりました。SNSなんかでアクティブなママを見て心がザワつくなんてこともなくなりました。
そういった面で自分と人と比べたり、人を羨んだり妬んだりする機会も減ったので、気持ちも楽で平和です。
きっと、似たようなところで
「ママ友付き合いが減ったら実は楽になった」とか、
「ママ友を作らなくちゃと焦る必要がなくなった」とか、
安心している方もいるはず。
そして、そんなママ達は、
「それでも案外なんとななる」
「ママ友がいなくても平気だ」
と気付かれたことでしょう。
ネットの世界を覗いてみても、あらゆる世代で「煩わしい人間関係が減ってスッキリした」と感じている人は意外と多いようです。
いままで、いかに「社交的であること、行動的であること」がよしとされる(ような気がしている)世の中に影響を受けていたかということが、よく分かりました。
少ないお金でも何とかなる

外出を自粛するようになった4月。1か月の出費がいつもより3万円少なくなりました。外出で使っていた外食費、娯楽費や買い物が減った分だと思います。
もちろん家に居るようになって増えた出費もあります。光熱費とか、食費とか。
でも、それら増えた出費より減った出費が多かったようです。
わたしの場合、外出(外食や娯楽)するなと言われれば、外出しなくても、さほどストレスはたまらないと分かりました。
買い物が減ったのは、「あったら便利だけど、不要不急の買い物じゃないよな」と思って買うのを先の先延ばしにしていたら、「買わなくても大丈夫だったね、何とかなったね」という感じです。
普段なら、3万円なんて、すごく何かを我慢しないと貯められないのに、今回は、気が付いたら貯まっていた感覚です。
少ない情報でも何とかなる

1日家にいると、ついテレビを付けたくなるわたしですが、朝から晩までコロナの話題ばかり。しかも、その取り上げ方や映像は感情をあおるようなものが多いので、子どもは「怖い」と不安がるし、大人も精神がやられそうです。
そんな風に思っていたら、行動心理の専門家が、「テレビのニュースはほとんどがネガティブな情報。ネガティブな情報に接すれば接するほどネガティブな感情が生じやすくなる」と語っていて合点が行きました。テレビでニュースやワイドショーを観ることで無意識にネガティブな情報を収集していたのだ!と気付き、観る時間を最小限にしました。
バラエティも子ども番組も、再放送や再編集が増え、「なんかもう、観なくてもよくない?」とそれらを観る時間も減少(それでも子守り替わりに付けることは多いけど)。
テレビを以前より観なくなっての感想は、
「観なければ観ないで何の影響もないなぁ」
「新聞やスマホがあれば情報不足にはならないなぁ」
「コロナ情報以外あまり知らないけど、何てことないなぁ」
SNSは、もとからほとんどやっていません。他人のリア充に心をゆさぶられると、自分がやりたいことが分からなくなるからです。
それでも、たまに目に入ってしまう「家族でハワイ旅行♪」とかにモヤっとすることがありましたが、いまはそれもないので平穏な日々です。
こうして静かになった日常で、自分の時間が出来ればブログを書くか本を読んでいます。
少ない娯楽でも何とかなる

ゴールデンウイークは旅行に行く予定だったけど、緊急事態宣言が出たためキャンセル。
さぞ退屈な連休になるかと思っていたらそうでもなく、近所の歩いたことのない道を散歩したり、公園へ行ったり、家の中を片付けたり、そういったひとつひとつをまだ幼い子ども達と一緒にやると楽しく、ひとつひとつがイベントでした。
外食の代わりに地元の飲食店のテイクアウトを利用してみたら、乳児連れではまだ入りづらい店の料理まで楽しめて「こりゃいいね!」と充実の夕飯に。
旅行代金が浮いたからと調子に乗って3日連続でテイクアウトしてみたけど、それでも旅行代の3分の1以内に収まり、「旅行は残念だったけど、これはこれで楽しいね」と思ったのでした。
まとめ:自粛生活が「自分が大切にしているもの」を教えてくれた

もともと家にこもるのが苦痛ではなかったし、
そもそも育児休暇中で自粛といわれても生活にあまり変化がなかったし、
外出自粛もずっと続くわけではないと分かっていた…。
そんな状況がそろっていたから、強いストレスも感じず、それなりに楽しめたのだと思います。
そればかりか、暮らしに制約が出たことで、「自分はこれがあれば十分なんだ」という自分が本来持っていた価値基準がはっきりしました。
いままでは、海外を気軽に飛び回ったり、自分でイベントを企画したりとアクティブな知人友人を羨ましく思うことがありました。
「すごいなぁ…。でも自分にはとてもできそうにないわ…」と、勝手に比較して、行動力のない自分に対して勝手に落ち込むこともありました。
でも、「いまは自粛してください」と言われたとき、
自分のなかに「海外へ行きたい!」「イベントをやってみたい!」というウズウズした気持ちなど、まったくありませんでした(笑)
それって、「本当の自分の望みはソコにはなかった」ということなんじゃなかろうか?世間でもてはやされていることや、格好いいと思われていることに影響されていただけだったのです。
コロナ禍の外出自粛で分かったわたしの人物像はこんな感じです。
- こじんまりと家族と過ごす時間を楽しめること
- 旅行に行けなくても本があれば好奇心が満たせること
- 自炊はたまにサボりたいし、他人が作った美味しい料理は食べたくなること
- 巨万の富がなくても、そこそこ楽しい人生を過ごせること
こう見ると、案外わたしは、わたしの望みを叶えながら生きているんだなぁということが分かります。
「引き寄せの法則」で多数の著書がある奥平亜美衣さんは、「人生は思い通り。望み通りにはならないけど、思い通りにはなります」と語っています。
まさにわたしは、“自分の本心なのかもよく分からない望み”は叶っていないけど、“自分が無意識に思っている本音”は何の苦もなく叶えていたんだと思いました。
いま起こっている外出自粛のように、いざ行動に制約がでたときに、
- 何に対して自分は我慢できないか?ストレスがたまるか?
- 何に対しては平気なのか?何なら楽しめるか?
そんなことを整理してみると、”自分”というものが見えてくるかもしれません。
合わせて読みたい


コメント